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保育士のためのblog
年長担任の「送り出す責任」は、教えることでは軽くならない
年長クラスの担任の先生に、読んでほしい話があります。 就学までにできるようにさせておかないといけない。座る、聞く、書く、そろえる。保護者にも小学校にも見られていると思うと、自分の焦りがそのまま声に出てしまう。そういう一年ですよね。 四月までは、できなくてよかったことが ある年長担任の先生に、こう言われたことがあります。 「送り出す責任が、秋から急に重くなって」 四月まではできなくてよかったことが、秋になると、間に合わせるべきことに変わる。子どものほうも、その空気を敏感に感じ取っていました。 教える人を、ひとり減らす その先生にすすめたのは、活動のリーダーを子どもに任せることでした。 先生が前に立つのをやめて、順番にひとりずつ前に出てもらう。教える人がいなくなると、子どもは周りをよく見て、自分で判断しはじめます。 就学前に本当に要るもの 座る、聞く、書く、そろえる。どれも「言われたとおりにできること」です。 でも就学前に本当に要るのは、言われたとおりにできることではありません。自分で決められることのほうです。 先生が前に立って教え続けるほど、子ども
4 日前
副主任の先生が、誰にも言えずに抱えていること
副主任という立場の先生に、読んでほしい話があります。 主任ほどの決定権はないのに、現場からは上の人だと思われている。園長先生には気を遣い、若い先生には気を遣われる。どちらにも入りきらない場所にいませんか。 「誰に言えばいいのか分からない」 ある園の副主任の先生が、こう言われたことがあります。 「私が困っていることを、誰に言えばいいのか分からないんです」 主任に言えば愚痴になる。後輩に言えば不安にさせる。だから誰にも言わずに、ひとりで抱えて帰る。その日の職員室で、いちばん静かだったのが、その先生でした。 いちばん名前を呼ばれない立場 副主任は、園の中でいちばん名前を呼ばれない立場だと思っています。 主任は責任者として名前が挙がります。若い先生は育てる対象として名前が挙がります。副主任は、どちらの話題にも、名前で出てきません。 それでも園が回っているのは、その先生が間で受け止めているからです。 ちゃんと見えています 誰からも言われないので、代わりに言います。 ちゃんと見えています。主任と後輩のあいだで、どちらにも気を遣いながら、園を支えているのが誰な
10月26日
じゃんけん列車で泣く子がいても、やめなくていい
じゃんけん列車を、いつのまにかやらなくなった園は多いと思います。 負けた子が泣く。後ろにつくのを嫌がる。列が崩れて収拾がつかなくなる。楽しいはずの遊びなのに、終わったあとに疲れだけが残る。それで自然と選ばなくなっていきます。 やめなくて大丈夫です 変えるのは、じゃんけんそのものではありません。音のほうです。 ピアノが鳴っているあいだだけ歩く。止まったら、近くの子とじゃんけん。これだけで、勝ち負けの前に「音を聞く時間」が入ります。 負けた子は、列の後ろにつくのではなく、先頭の子の肩に手を置きます。順番が上下ではなくなります。 泣く理由は、負けたことではありません 泣く子が出るのは、負けたから、ではありません。負けたことが、みんなに見えるからです。 ふつうのじゃんけん列車は、一人ずつ順番に対戦します。負けた瞬間が、全員の前で起こります。 音が止まった一瞬に全員が同時にじゃんけんをすると、誰が負けたかが目立ちません。見られていないので、恥ずかしさも小さくなります。 定番の遊びをやめる前に 定番の遊びをやめると、子どもが楽しみにしていたものが一つ減ります
10月17日
パートの先生が気づいたことは、会議で言わなくていい
パートで入っている先生から、こんな声をよく聞きます。「意見を言う場所がない」。 決まった時間だけ入り、担任の補助をして、会議には出ない。気がついたらクラスのことを誰よりも知っているのに、それを渡す場所がない。そんなもやもやを抱えている先生は多いです。 「私が言うことじゃないので」 ある園で、週三日だけ入っているパートの先生に出会いました。 その先生に聞くと、「私が言うことじゃないので」と言われました。 でも実際は違いました。朝いちばん不安定な子、給食の前に崩れる子、外遊びのあとに切り替えられない子。担任の先生が手を離せない時間の子どもの様子を、その先生がいちばん細かく知っていたんです。 会議で発言しなくても、渡せます 担任の先生が本当に知りたいのは、立場のある意見ではありません。見えているものです。 会議で発言する必要はありません。すれ違いざまに、ひとこと伝えるだけで十分です。 「今日、あの子は朝が長かったです」 それだけで、担任の先生のその日の組み立てが変わります。 立場ではなく、見えているものを渡す パートという立場に意見を乗せようとすると、
10月12日
リトミックは、音楽に合わせて踊る遊びではありません
リトミックって、音楽に合わせて体を動かす遊びですよね」 見学に来た保育士さんから、何度もかけられてきた言葉です。 悪気がないのは分かっています。傍から見ると、たしかに似ています。音楽が流れて、子どもたちが動いている。 でも、決まった振りを音楽に合わせて踊ることと、リトミックは別のものです。 振り付けとリトミックの違い 決まった振りを覚えて、音楽に合わせて踊る。これは振り付けです。先生が動きを決め、子どもはそれを覚えて再現します。 リトミックは逆です。音を聞いて、自分で判断して、自分で動く。 「歩いて」と言葉で指示するのではなく、音が鳴ったら歩く。止まったら止まる。動いているのは子どもの判断であって、先生の指示ではありません。 ここが、決定的な違いです。 だるまさんが転んだを、音だけで止める 分かりやすい例があります。だるまさんが転んだです。 ふつうは「だるまさんが転んだ」という言葉で止まります。これを、言葉なしで楽器の音だけに変えてみてください。 音が鳴ったら歩く。音が止まったら、その場で止まる。 やってみると、最初はうまく止まれない子が出てきま
10月5日
発表会前に合奏がそろわないとき、練習をやめて寝転がってもらいました
発表会や運動会の前で、余裕がなくなっている先生に読んでいただきたいです。 練習が思うように進まなくて、できていない子が気になって、家に帰ってからも段取りを考えている。職員室の会話が短くなって、廊下を歩く速さが変わる。 あの時期ですよね。 そろわないから、もう一回 年長クラスで、合奏がどうしてもそろわない時期がありました。 伺った日も、朝から何度も通していました。そろわない、もう一回。そろわない、もう一回。 子どもたちの肩が上がっていました。楽器を持つ手に力が入っていて、目が譜面台と先生のあいだを行ったり来たりしています。 ここで起きていたのは、練習不足ではありませんでした。 体がこわばると、音が聞こえなくなります 子どもは、体がこわばっていると音を聞けません。 自分の音を出すことに必死になって、となりの子の音が耳に入らなくなります。合奏は、まわりを聞いていないとそろいません。 聞けないから合わない。合わないから「もう一回」。もう一回と言われるとさらに固くなる。 この輪の中にいる限り、回数を増やしても、そろうようにはなりません。 練習をやめて、3分
9月28日
職員の温度差は、話し合いでは動きません
リトミックを入れたいけれど、職員の温度差が大きくて進められない。 園長先生から、よくいただくご相談です。 若い先生は乗り気なのに、経験のある先生ほど「今のやり方で困っていない」という空気になる。押しつけたくないし、放っておくと何も変わらない。 腕を組んでいた先生 ある園で、20年目のベテランの先生が、研修中ずっと腕を組んでいました。 あとで話を聞きました。 「新しいことを入れると、また子どもが混乱する。去年もそうだった」 反対ではありませんでした。心配だったんです。 その先生は、始まっては消えていった取り組みを、何度も見てきた人でした。担任として、そのたびに混乱した子どもたちを受け止めてきた人です。 腕を組んでいたのは、抵抗ではなく、防御でした。 温度差の正体 温度差という言葉を使うと、やる気の差のように聞こえます。 でも実際に中にあるのは、たいてい経験の差です。 続かなかった取り組みを見てきた そのしわ寄せを受けた また同じことになると思っている やる気がないのではなく、過去の実績にもとづいて判断しているわけです。そう考えると、その先生のほうが
9月21日
「切り替えができない子」は、時間を長さで感じていないだけかもしれません
「切り替えができない子」という言い方を、園でよく聞きます。 遊びが終わらない。給食の時間になっても動かない。急かすほど動かなくなる。 この繰り返し、しんどいですよね。 でもそれは、性格でもわがままでもないことがほとんどです。 幼児は、時間を長さで感じていません 大人は「あと5分」で動けます。5分という長さが、体の中に入っているからです。 幼児の中に、まだ5分という感覚はありません。 だから「もう少しで終わりだよ」「あと5分ね」は、ほとんど届いていません。届いていないところに繰り返し声をかけて、動かないから急かして、余計に動かなくなる。 これが、毎日起きていることです。 感じているのは、長さではなく区切りです では何を感じているかというと、区切りです。 音が変わった 電気が消えた いつもの歌が始まった こういう、はっきりした変化だけが届きます。時間の経過ではなく、事実として起きた変化です。 言葉での予告が効かない子に、音での合図が効くのは、これが理由です。 片づけの時間が、2週間で半分になりました ある園で、片づけの前に同じ短い歌を歌うようにしまし
9月14日
おたよりに「子どもが言った言葉」を1行入れるだけで、保護者の反応が変わります
リトミックを取り入れている園で、園長先生からよく聞かれます。 「保護者に、これで何が育つのかを、どう伝えたらいいですか」 参観のあとに「楽しそうでよかったですね」で終わってしまう。それがもったいない、というお話です。 成果を並べると、成果報告になります 伝えようとすると、多くの場合こうなります。 リズム感が育ちます 集中力がつきます お友だちと協力する力が育ちます 間違ってはいません。でも、これを読んだ保護者の頭に、わが子の顔は浮かびません。 書かれているのは活動の説明であって、その子の話ではないからです。 そして保護者がいちばん知りたいのは、園の教育方針ではありません。うちの子が、そこでどんな顔をしていたかです。 おすすめしているのは、ひとつだけです おたよりに、その日子どもが言ったことを1行だけ載せる。 たとえば、こういうものです。 音が急に止まったとき、Rくんが「今の、びっくりした」と言っていました。 これだけです。何が育ったかは書きません。 なぜ1行が効くのか 「びっくりした」という言葉が入ると、読んだ人の頭の中に場面が浮かびます。...
9月7日
輪に入れない子は、拒んでいるのではなく、外から練習しています
2学期に転園してきた4歳のKくんは、リトミックの時間になると、いつも部屋のすみにいました。 担任の先生が誘っても、首を横に振ります。手を引こうとすると、体を固くする。 「無理に入れないでおきましょう」 そう話して、そのままにしました。 誘わない、という選択 保育をしていると、輪に入れない子を見たときに声をかけたくなります。それが仕事だと思うからです。 でも、誘うという行為には、もうひとつの意味が含まれています。**「あなたは今、入れていない」**というメッセージです。 本人がいちばんそれを分かっています。分かっているところに繰り返し声をかけられると、その場所は「できていないことを指摘される場所」になります。 だから、そのままにしました。見ないのではありません。見ているけれど、声はかけない。 3回目に起きたこと 3回目のとき、Kくんが立っていました。 輪には入りません。すみのほうに立ったままです。 でも、みんながジャンプしたとき、Kくんの膝が同じタイミングで曲がっていたんです。 体のほうは、もう参加していました。 見ているだけに見える子が、何もして
8月31日
主任になった先生が、いちばん最初にぶつかること
今年から主任になった先生に、読んでいただきたいです。 自分のクラスの保育もしながら、若い先生の相談にのって、園長先生と現場のあいだに立つ。誰にも聞けないまま、気がつくと一年が過ぎている。そういう立場ですよね。 主任になったときに研修があるわけでもなく、前任の主任がやっていたことを見よう見まねで引き継ぐ。多くの園がそうだと思います。 「私が言うと、指導になってしまうんです」 ある園の主任の先生が、こぼしたことがあります。 「私が言うと、指導になってしまうんです」 同じ言葉でも、立場がつくと重さが変わります。以前なら「こうしてみたら」と気軽に言えていたことが、主任という肩書きがついた途端、相手には評価として届いてしまう。 だから何も言えなくなります。そして言えないまま、結局自分でやってしまう。 そうやって、その先生の仕事だけが増えていました。若い先生は育たないまま、主任だけが忙しくなっていく。これは、多くの園で起きていることです。 教えるのをやめて、となりでやってみる その先生におすすめしたのは、教えるのをやめることでした。 かわりにお願いしたのは、
8月26日
「静かにして」と言うのをやめたら、3歳児クラスが静かになった話
「話が聞けないクラス」と言われていた3歳児クラスがありました。 担任は1年目の先生です。毎日「静かにして」「聞いて」と言い続けて、夕方には声が枯れていました。廊下ですれ違ったとき、その先生に言われた言葉が、いまでも残っています。 「私、向いていないのかもしれません」 声を大きくするほど、聞こえなくなる 騒がしいとき、私たちは自然と声を大きくします。届いていないと思うからです。 でも、子どもの側から見ると景色が違います。先生の声が大きくなると、その音に負けないように子どもの声も大きくなります。教室全体の音量が、少しずつ上がっていきます。 そして子どもは、大きな声に慣れます。慣れた音は、聞き流せるようになります。 毎日「静かにして」と言い続けている先生ほど、その言葉が効かなくなっていく。 これは先生の力量の問題ではなく、音の仕組みの問題です。 お願いしたのは、逆のことでした その先生にお願いしたのは、うるさいときほど小さく話すことでした。 最初の2日は、まったく届きませんでした。当然です。子どもたちはこれまで、大きな声で呼ばれることに慣れていたからで
8月19日
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